👀 その寸評の 要諦を、ワースト1から逆順で列挙すれば、次の 如し: 1)「 大伴(大友)黒主」=歌に 面白味はあるけど、雰囲気が 田舎臭い。 詞書(ことばがき)とは? この歌は、詞書(ことばがき)から、歌合の場で詠まれた歌ということがわかっています。
11五月に雨の声をまなぶらむも、あはれなり。
【派生歌】 とりあへず 紅葉をぬさと手向山 神のこころを神やうけけむ 契沖 小倉山 峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ 【現代語訳】 小倉山の紅葉よ、もしおまえに心があるなら、もう一度行幸があるまで散るのは待っていてほしいよ 【歌番号】26 【作者】藤原忠平 ふじわらのただひら 【採録】拾遺和歌集、定家八代抄など 【補足】百人一首では「貞信公」 【派生歌】 をぐら山 もみぢにとめし小車も 跡こそたゆれみゆき降りつつ 契沖 心当てに 折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花 【現代語訳】 当てずっぽうに折れるならば折ってみようか、草葉に置いた初霜が惑わせている白菊の花を 【歌番号】29 【作者】凡河内躬恒 おうしこうちのみつね 【採録】古今和歌集、新撰和歌集、和漢朗詠集など 【補足】三十六歌仙の一人です。
😗 尋という漢字は、実は、左右が合体した字なのです。 『小倉百人一首』022 ふくからに あきのくさきの しをるれば むべやまかぜを あらしといふらむ 文屋康秀(ふんやのやすひで) 男性? なぞなぞみたいです。 )・・・当人は気の利いたことを言っているつもりのようだけど、言葉を操っているつもりが言葉に振り回されているばかりの 空々しい歌、ということである。
【派生歌】 秋山は紅葉ふみわけとふ人も声きく鹿の音にぞなきぬる 藤原定家 ちはやぶる 神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くくるとは 【現代語訳】 神話の時代でさえも聞いたことがない ほどだ 竜田川の水面が 川面に散った紅葉によって 唐紅 =韓紅:濃い紅の色、深紅の色 の括り染め くくりぞめ=布の一部を糸でくくり、その部分を白く残す染め方 のように見えるのは 【歌番号】17 【作者】在原業平 ありわらのなりひら 【採録】伊勢物語、古来風躰抄、定家八代抄など 【補足】六歌仙、三十六歌仙の一人です。
😭 平安時代には、漢字を分ける言葉遊びの和歌が流行りましたが、この和歌はそういう面白さを詠ったもので、「あらし 嵐 」を「山」と「風」に別けて、詠み込んでいます。 家康の住んだ岡崎城の他、三河武士の絵図や文献などが見られる「三河武士のやかた家康館」、龍城神社、二の丸能楽堂などを見物することができます。
漢字遊びを取り入れたところが、歌会にふさわしくトリッキーな感じで、康秀の機知に皆はさぞかし感心したことでしょう。
「 小野小町」作とされる歌には、他の4人に見られたような文体上の統一性が乏しいし、「 喜撰法師」に至っては現存する歌はたった一首のみ。
🤙 六歌仙とは、905年につくられた『古今和歌集』の仮名序 かなじょ (漢文ではなく仮名文で書いた序文だから「仮名序」と言う)に、 きのつらゆき がすぐれた歌人として名前をあげた6人のことを指します。 今回紹介する一首は、そんな秋の嵐を詠んだ名句です。
2それに対し小町は「わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ」(=こんなに落ちぶれて、我が身がいやになったのですから、根なし草のように、誘いの水さえあれば、どこにでも流れてお供しようと思います)と歌を詠んで返事をしたという。